歌詞なんてどうでもよくない?
防衛本能を見つけ出してからやっと、使い方がわからなくなってきたここ最近。
純粋で透明な気持ちで見渡せばどう考えても美しい景色や人々を、錆び付いて濁ったフィルターを通しちゃうもんだから自分を上手く肯定することができるようになってしまった。
大した説得力でもないからすぐ剥がれ落ちて、汚い自分が露わになって周りにすぐばれる。
これは普段の生活の中でよくあることで。
仕事中も、友達との飲み会も、遊びも。
根拠のない理想的な世界を掲げて、あたかも自分はこういう考えがあるすごい人間なんだぜみたいな顔をしときながら何もしていない人間だったり、周りの人が持ってる武器を見て指をくわえているうちに、まるで自分も同じ武器を持っていると勘違いして、偽アルテマウェポンを振りかざす人間だったりが溢れる世の中なんだからしょうがない。
濁ったフィルターを通すと、上記のような意見になる。これは普段の僕。
その目のまま見つめると、
未来に希望を持つ活気のある若者と、自分の環境を客観的に捉えて行動しようとする勇気のある若者というなんとも理想的な世界。
難しいね。間違いなく後者の捉え方の方がうまくいくし、正しい。
でもね、これだけは違うと言い切りたい。
音楽を作り始めて意外にも6.7年は経ってしまっているらしい。
歌詞なんてどうでもいいという意見。
周りの楽器隊がかっこよければいいという意見。
重音楽でも聴いているつもりなのか。オペラでも同じことが言えるのだろうか。
インストならその通りだが、聞いているのは普通のロック。ボーカルの人がいるロック。軽音楽。
作詞家が、人生の中で受けた影響。
その影響の末絞り出した一つ一つの言葉のピースが上手くはまって一枚絵になったのが歌詞だ。
世の中の大半の人が歌詞によって感動し、時には涙を流す。
それほど言葉には強い影響力がある。
ボーカルがいるバンド。まぁ音楽としたら、周りのギターやら楽器陣は引き立て役に過ぎない。
だからこそ最善の注意を払い、かっこよくするんだよ。
映画のワンシーンをより感動的に、迫力的にするために存在するBGMや効果音。
まさに映画のワンシーンが歌詞、歌メロである。
歌詞が存在する音楽を聴いている以上責任もって聴かなきゃだめだよ。
歌詞を否定するということは、好きでコピーしたであろうそのバンドの作詞家の人の人生を。その人生の体言化を否定するということだ。
どれだけ苦しんで、どれだけ考え抜いて書いていると思ってるの。
あの秋元康でさえ歌詞を考えるためにホテルに一週間は缶詰めになるというのに。
全部を聴かなきゃ意味がないってこと。
全パートが綺麗にまとまって訴えかけてくるのが音楽であり、アートなのに。
歌詞が一番重要といっているわけじゃなくて、全部重要ってこと。
楽器隊の何か一つでもかけたら聴くに堪えないくせに歌詞はなくてもいいだなんて、本当に音楽が好きなのかと疑ってしまう。
音楽を聴いているのではなく、まさに聞いているとはこのことだと思う。
あなたが好きなそのリフも、ギターソロも歌詞と共存するもの。
歌詞なんでどうでもいい。
そう思うなら、歌詞の無い、インストや民謡、オーケストラ以外を聴くべきじゃない。
自分が作詞をするから強く思うんだろうけど、音楽が好きなら、流れてくるすべての音を尊重して楽しむべきだと思います。