タバコとコーヒー、どっちが主役ですか?
味のしなくなった、昔好きだった物達をどうにか味わえないかと試行錯誤。
当時はそれしか眼中にない程熱中していたのに今や自分の引き出しの中にあることすら忘れている始末で。
音楽でさえ好きな時期と嫌いな時期と興味ない時期があるもんだから人間って本当に不思議。
ある程度の年齢でアイデンティティとかいう柵を確約してしまうらしい。
人間は成長していくものだからそんなことないと。
幼い頃の狭い世界で知れるものなんてたかが知れていると。
思っていたのも束の間、案外根底にあるものは変わらなかったりするよね。
守破離という方法はアイデンティティには通用しないんだろうな。
だけど守破離は成長には欠かせない気はする。
どうでもいいや。
たまたま昔好きだった映画をネットフリックスで見てふと思っただけです。
なんというか難しい話はわからないけどフィーリングという言葉は嫌い。
ジャムセッションやら恋やらはフィーリングが大事なのかも知れないけど。
『音楽は感覚の数学』という言葉があるように、まさしく数学で。
和音や旋法やモードなんかを学べば学ぶほど感動する音、ノリやすい音、気持ちいい音にはすべて仕組みがあることを痛感する。
それと同時に冷めてしまう人もいればのめり込む人がいて、ここは両極端なんだろうと思う。
まぁこの言葉はなんちゃらかんちゃらっていう数学者が発言した数学に対する言葉なんだけどね。この人曰く数学は理性の音楽らしい。わけわからんわ。
こういう言葉というか名言といわれるものは人を動かす原動力になりますよね。
和菓子の横にある暖かいお茶というか、タバコを吸いながら飲むコーヒーというか。サウナ後の外気浴というか。
ざっくりいうと付加価値というものか。
ん?違うか。まぁいいや。付加価値の話をしたかったので。
今まで僕は音楽という物自体に価値があり、主役だと思いながら作ってきました。
全く持って間違っていないけれど最近は考え方が変わってきました。
映画のワンシーン、洋服屋の店内、旅行の行き帰りの車内、落ち込んだ日の帰り道。
これらに音楽がなかったら、少し寂しいよね。
本来の状況は変わらないけれど音楽があるかないかでまるで感情が変わってくる。
音楽の一番の需要はそこだと。
すでにある価値に付随させることによって元々の価値を肥大させるもの。
それが音楽。というか音楽の役目。
そういう結論に一旦は行き着きました。
いろんなBGMを作るようになって至る所で流れる音楽を気にし出してわかったことです。
あくまで主役じゃない。
けれど必要不可欠。
素敵ですね。音楽。
こういう音楽のことを劇伴といいます。
言葉のまんま、劇の伴奏です。
ディズニーランドのなかや映画の中だけじゃなくてもっとほんの些細な日常にも劇伴が流れていたらいいのにね。
仕事が忙しい時、料理をしている時、寝坊した時、好きな人と過ごしている時、誰かにむかついた時。
劇伴が流れていたらもっと人生豊になるんじゃないかな。
だから、作ります。
日常の一コマに対する劇伴を。
できるだけ具体的な日常に対して劇伴を作っていきます。
自分で作って自分で流して勝手に楽しみます。
せっかくなんでどこかにUPしていくつもりです。
小耳に挟んだら皆さんの日常に流してみてください。
とりあえず一作目は、
「どんなに嫌なことがあっても、平気な顔してやらなきゃいけない仕事をやり終えて疲れがドッと来た帰り道に流れるBGM」
です。
宜しくお願いします。
あ、普通の曲も作り続けますよ。